*主に二十四話*
・しまった時間が空きすぎて前回までの展開を忘れた…!
・ときどき挿入される静止絵は吉田絵に違いないと思ってる 勝手に
・ん、でもクレジットには出てないな。思い込みすぎたかな。
・ロボが…ロボが…!!!(衝撃)どこまで斬新なんだ…
・メッセージが、わかりやすすぎて…もうちょっと演出してほしかったなあ…現代的なテーマではあるんだろうけどな、こういう台詞にほっとする人も多いような気がする。でも、わたし個人の話で言えば、通過点にはそういうこともあったかもしれないけれど、でも、通過点に過ぎなかったな。もっと大事なものは、その外側に、たくさんたくさん散らばってた。もちろん、これだってわたしの一部であることには違いないけれどね。
*主に二十五話*
・サラ&アデットがすき!
・ゲイナー&アデットもすき!あーなんか自分が引っかかるパターンだよね…
・あ、おもしろくなってきた!やっぱロボ戦には興味ないや自分…せんそうはんたい 人間関係・人間模様がでてくると俄然おもしろくなる。
・アデットかっこいい。
・サラかわいいなあ。
・ひとの気持ちや考えを「ホンネ」と「タテマエ」に分けるとしたら、オーバーデビルに取り込まれた二人のことばは「ホンネ」なのかもしれないけれど、そしてときに「ホンネ」はまるでどんなことよりも正しいもののように語られるけれど、わたしはそうじゃないとおもうよ。
すべてのものごとに当てはまるわけじゃないけど、直感的に感じるすききらいとか、そういう「ホンネ」が「タテマエ」に至るまでには、自分のまわりのセカイをみわたしたり、自分を俯瞰してみて位置関係を確認してみたり、そういうプロセスがあって。そういうの総合して考えた結果「タテマエ」に至るんだと考えたら、必ずしも直感的な「ホンネ」がいつも正しいわけじゃない。「ホンネ」を封じる考察は、自分の周りをぐるりと見渡す、とっても大事な作業だと思うんだ。
そりゃあ、しょーもない「タテマエ」や、そういわざるを得ない権力関係下におかれた「タテマエ」とか、そういうなんもあるけどさ。シンシアとゲイナー見てて、そんなことを考えたんだよ。
*主に二十六話*
・かぽーが全話通じて数組できたな…なんだかな…うん…
・アナ姫賢ーい!頭がいいとかいうんじゃなくて、状況に流されない思考と、自分で信じたものをちゃんともっているところが。
・女性陣がどの子もほんといいよーー重要な出来事の起点や踏ん張りどころはみんな女性のようなきがするよ。いいねーいいねー。男性はどいつもこいつもアホだな(←自分的に)!(笑)特にゲインとアスハム(爆笑)。
・なんかともかくよかったな!
・ゲイナー・サラ・シンシアのスリーショットがかわいくていかった。
全話通じての感想は、そうだな、ともかく文法があわなかった…いろいろなんか自分がはまるにはおしい!って感じの作品でした…。いいんだけどな、うん、いろいろ、でもきゅぴーん!とはこなかった…。
女性陣がともかく魅力的!ほんとにもうちょっとロボより人物描写に重き(というか時間?枚数?労力?)をおいてくれればりんのこのみだったなぁ。ほんとにほんとにこのみの問題ですね(笑)。
りんのこのみでいえばはこんなところ。あと作品通してエネルギッシュだったな!最終話で、第一話からのできごとや気持ちの動きがきっちり昇華(消化)されてたところも気持ちよかった。みたあとのすっきり感はなかなかのものです。そのあたりは秀逸だと思います。
てなところで おしまい!
とおもったけど一巻をもっかい借りてきたので追記。
あんなにわかんなかった一巻がだいぶわかるーーまた機会があったら見直してみたいな。って、おもった、一巻見直して。